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五郎八姫を偲んで西館跡に行ってみた

2023年3月10日

先日、伊達政宗の長女・五郎八姫が晩年を過ごした西館跡に行ってきました。

わたくし、郷土・歴史を調べるのが大好きなのでテンション上がりました (^^)


五郎八姫は晩年出家するまで敬虔な天主教(カトリック)信者、隠れキリシタンでした。

NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)では沢口靖子さんが演じてましたね。芯がしっかりしていて美しい五郎八姫のイメージにぴったりでした。

五郎八姫は、晩年の四十三歳から六十五歳までの二十有余年、仙台城(青葉城)西屋敷と、現在の仙台市青葉区栗生にある西館(にしだて)という別荘の両方で暮らしていました。仙台城西屋敷では「西館さま」と呼ばれていたので、別荘も「西館」と呼ばれるようになりました。

比丘尼に丸めた姿も美しいです。

万治元年(1658年)八月、落飾 (出家) し天麟院と号しました。寛文元年(1661年) 五月八日、六十八歳で入寂。瑞雲全祥天麟院と号し、現在の松島瑞巌寺西の丘に廟所天麟院があります。

というわけで、さっそく別荘の西館跡へ行ってみました。

バイパス沿い、蕃山という里山のふもとに西館跡の入り口があります。

坂を少し登り…入り口がありました。

さらに奥地に入ってみます。

山の中に突然空間が広がりました。

マイナスイオン漂う空間。癒されます。

池跡、井戸跡だけは残っています。

木に触ったり。

この地区はもともと隠れキリシタンの里です。この近くに、五郎八姫が建立した薬師堂があります。そちらも行ってみました。

薬師堂

薬師堂のお堂の中には、薬師如来様と一緒に『ローソク喰い』と呼ばれる木像が納められています。幕府による切支丹禁制のもと、村人は顎に十字架が掘ってある像にローソクを垂らして、十字架の部分を隠して拝んでいました。像はどう見ても日本人っぽくなくて、外人さんみたいですね。いつ、誰が納めたのか分からない謎の木像。想像をかき立てます (^ ^)

『ローソク喰い』の写真は地元の役所が発行した「五郎八姫物語」から拝借しました。

さらに、この薬師堂の近くには鬼子母神堂があります。

鬼子母神堂

【鬼子母神堂は安産と育児の神で、堂内には右手にザクロの実を持ち、左手で幼児を抱く鬼子母神堂が祀られています。祭りの行事は旧暦8月15日の夜、限られた家の戸主が、他人に見られないように、人目を避けてお参りをします。祭り日がマリアの被昇天の日であり、幼児を抱く鬼子母神像は、キリストを抱くマリア像に見立てられるし、供え物に添える12膳の箸は、キリストの12使徒を連想させます。このことから、隠れキリシタンの信仰との見方もあります。】

祭りの行事は旧暦8月15日(新暦9月上旬~10月上旬の間)に9戸の家で現在も行われているとのこと。

ザクロの樹も植えてありました。

【ザクロ植樹 「聖母マリア」の復活と再生と不死に対する希望のシンボルのザクロ。子授け、安産、子育て、子孫繁栄の神。「聖母マリア昇天の日、8月15日」、草花に癒された五郎八姫の栗生の地、蕃山の麓の信者(仲秋の名月日)、鬼子母神祭(江戸時代ー令和)】

ちなみにザクロは旧約聖書に33回登場する果樹。多数の実や種子(子孫)を生むところから、多産、豊穣、生命の象徴とされています。ユダヤ人の間では、種子の多さを戒律の数613と結びつけて、忠誠と権威の象徴とみているようです。

ザクロは新約聖書には出てきません。しかし、希望のシンボルとして植樹した周辺住民の祈りの強さが伝わってきます。村人のマリア信仰が今も息づいているのを感じ、筆者は胸熱になりました (^ ^)


豊臣秀吉が1587年に伴天連(バテレン)追放令を出したのが始まりで、1612年二代将軍・徳川秀忠のときキリシタン禁教令が発令されました。1620年(元和六年)に伊達政宗もキリシタン禁制の布告をしました。

キリシタン禁教令については、少し複雑な経緯と思惑があるので、そのあたりもまとめてみたいと思います。


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