前回の記事からだいぶ間があいてしまいました(^^;)
☝️ではこの前回の記事の続き、いきます(^^)/
銀とキリシタン禁教令ってどう関係してるの?
貴金属の価格がじわじわ高騰してます。ドルの崩壊、法定通貨への不信…世界情勢が不安定さを増すと資産を貴金属に替える人が多いのでしょう。各国政府も金を確保しているという情報もだいぶ前からありました。金は普遍的な価値を持つ貴金属の王者です。そして金価格に連動して銀価格も上がり続けています。
それにしても過去20年間の銀価格の推移はちょっとすごい。田中貴金属の銀価格推移のグラフを覗いてみますと…
20年前の2003年12月はなんと20円台!
2023年12月現在はだいたい130円台なので、20年間の月日をかけて約6倍にもなっています。
法定通貨の価値が怪しくなった昨今、
“本当のお金”と言われる銀への価値を見直す時期が到来しました。
そこで銀の歴史を、前回の隠れキリシタンの話に絡めつつ調べていきたいと思います(強引)
銀とキリシタンの歴史を調べるにあたり参考にさせてもらった3冊の良書です。
こちらから気になる箇所を切り取りつなぎ合わせて全体図を見ていきます。
数々の引用お許しください。
『伊達女』著/佐藤巖太郎
伊達政宗の長女・五郎八姫と伴侶の徳川家康の六男・松平忠輝について綴られています。
『銀の世界史』著/祝田秀全(いわた しゅうぜん)
“世界史は「銀の流れ」でつかむことができる”
“銀が近代世界をつくりだす” (引用)
切り口鋭く、経済史全体を俯瞰できる本です。
『世界を動かした日本の銀』著/磯田道史、近藤誠一、伊藤謙 ほか
日本の運命を変えた石見銀山(いわみぎんざん)について詳しく、そして熱く語られています。
銀の歴史を見れば、日本の歴史が紐解けると言っても過言ではない!
15世紀から17世紀初めにかけて、スペイン・ポルトガルに代表される西ヨーロッパ諸国が、新大陸を開拓していった大航海時代。
バスコ=ダ=ガマのインド航路
コロンブスのアメリカ大陸到達
マゼランの世界一周航海などが行なわれ、
その後の非ヨーロッパ地域の植民地化をもたらしました。
そんな中、1545年、スペインのペルー副王領(現ボリビア)でポトシ銀山の開発が始まりました。
スペイン人たちはポトシ銀山を「セロ・リコ(富の山)」と呼んだそうです。
それまで、ヨーロッパ銀は南ドイツ銀山がありましたが新大陸の採鉱量と較べたらけっして多いものではなかったようです。南ドイツの銀産出量は年平均30トン。ポトシ銀山からヨーロッパになだれ込んで来る銀は年平均200〜300トン。これに対抗できたのは、200トン級の産出量を誇る日本の銀だけでした。
日本の石見銀山は1526年(大永6年)に発見されました。※昨今では1527年(大永7年)に発見されたという説が有力のようです。
それまで、13世紀までは対馬国(現・長崎市対馬市)が唯一の銀の産地だったそうです。
1533年(天文2年)には、銀の精錬法・灰吹法(はいふきほう)が伝わりました。銀と鉛を一緒に熱して合金を作り、この合金と灰を一緒に熱すると、鉛は酸素と結合しやすいために重い酸化鉛となり、灰の下に沈み、軽い銀だけが上に残る、という仕組みです。灰吹法は銀だけでなく、金の精錬にも使うことが出来、佐渡金山など各地に伝わり、金・銀の生産量は飛躍的に増加しました。日本は世界第二位の銀産出国に躍り出ました。
では、その灰吹法はどこから伝わってきたのか?
中国(明)、もしくは朝鮮(李氏朝鮮)からの2説があるようです。最初に石見銀山で用いられ、日本各地に広まっていきました。
ちなみに、灰吹法は『旧約聖書』にも登場するほど古くから行われてきました。
エレミヤ書6、29-30 「ふいごは激しく吹き、鉛は火にとけて尽き、精錬はいたずらに進む。悪しき者がまだ除かれないからである。主が彼らを捨てられたので、彼らは捨てられた銀と呼ばれる」
ぜカリア書13、9 「わたしはこの(全地の人の)3分の1を火の中に入れ、銀を吹き分けるように、これを吹き分け、金を精錬するように、これを精錬する」
その後、ポトシ銀山と石見銀山が世界の銀需要を支えるようになりましたが、2つの銀山は精錬法が異なります。石見銀山は灰吹法、ポトシ銀山は水銀アマルガム法。環境破壊や健康被害をもたらした水銀アマルガム法にくらべて、灰吹法は割と手軽だったので一気に普及しました。
その頃、中国(明)は自国の通貨を銅銭から銀貨に移していきます。小銭の銅銭では交易に不便だからです。日本は銀の産出量が少ない中国(明)に輸出しました。
スペイン領のポトシ銀がヨーロッパの、日本の石見銀山が中国(明)の銀需要に応え大きな経済成長を支えました。日本はアジアで最も貧しい国でしたが、銀輸出のおかげで最貧国から抜け出せました。日本はずいぶん銀の恩恵を受けている国ですね(^^)
カトリックとプロテスタントの接近
16 ~ 17世紀の世界の貿易の覇権は、
南蛮人と呼ばれるイスパニア(スペイン)- ポルトガル連合のカトリック・イエズス会
紅毛 (こうもう) と呼ばれる和蘭陀(オランダ) - 英吉利(エゲレス)のプロテスタント同盟
この二派に分かれていました。
天主教(カトリック)を布教しに来ていたポルトガル。ポルトガル相手に貿易していた豊臣氏や西国大名。天主教に改宗するキリシタン大名も多くいたようです。
伊達政宗の長女・五郎八姫の伴侶の松平忠輝は敬虔な天主教(カトリック)信者でした。この忠輝と徳川家康親子は大変不仲であり、二代将軍秀忠の時、忠輝は25歳の若さで改易され(身分を落とす罰)・伊勢に配流となりました。将軍の弟がキリシタンだと公に出来なかったからでした。天主教信者は70万人を超えるほど広まり、増えすぎたキリシタンが豊臣家と手を結べは徳川家にとって脅威となります。ゆえにキリシタンに好意的な忠輝を表舞台から葬り去らねばならなかった。五郎八姫とは相思相愛でしたが泣く泣く離縁しました。
世界第二の銀輸出国になった日本ですが…
秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長戦争、1592~93・97~98) で明との交易が途絶えてしまいました。明国では対日不信が続いていました。対日貿易は極刑をもって禁止しました。
天下をおさめた徳川家康は悩んでいました。
徳川幕府になり、西陣などの絹織物の需要が高まってたのです。
明国との交易が途絶えたあと、日本に生糸や絹製品を運んだのはポルトガルでした。ポルトガルは日本銀が目的でした。
しかし、明国の替わりにポルトガルが日本に来るのも問題でした。
秀吉は1587年、伴天連(バテレン)追放令を出して、キリスト教に対する日本の立場を明らかにしていました。当初は織田信長の政策を継承し、日本でのキリスト教布教を容認していた秀吉でしたが、後に「バテレン追放令」によって布教を禁ずるようになりました。ポルトガル人による「奴隷貿易」があったのです。5万人の日本人が国外に連行されたといいます。さらに日本の信仰の在り方として、カトリックか、プロテスタントかといったことが問題ではなく、王や国主の上に立つ神の支配というキリスト教の考え方自体に問題がありました。ポルトガルは日本の銀が欲しい、だがカトリック布教の旗を降ろすわけにはいかない。日本も、ポルトガルと交易して生糸が欲しい、でもキリスト教はいらない…。布教と商売は切り離したい…。
しかししかし、関ヶ原戦争が終わっても、いつ何どき何があるか分からない…。
各国の思惑
そんな時、日本銀が欲しいオランダとイギリスが日本に近づいてきました。関ヶ原戦争が終わっても、また何があるか分からない。軍事力を支える財源が必要。その出どころを家康は貿易に期待していました。しかし、貿易は従来ポルトガルが相手でした。それを握っている豊臣氏や西国大名たち。このため家康はプロテスタント同盟のオランダ - イギリスと関係を持とうとしました。日本側の望みどおり、布教と貿易を切り離すというビジネスライクなオランダ。
そして・・・
このことは同時に、日本がイスパニア(スペイン)- ポルトガル連合のカトリック・イエズス会と、和蘭陀(オランダ) - 英吉利(エゲレス)のプロテスタント同盟の国際対抗図にコミットすることを意味しました。
家康はぎくしゃくしたスペインとの関係改善を図ろうと支倉常長率いる「慶長遣欧使節」をメキシコ経由でローマに派遣しました。しかしキリスト教禁制のもとでスペインとの貿易は実りませんでした。
三代将軍家光のとき、島原の乱(1637~38年)が起こりました。ご存知、日本の歴史上最大規模の一揆。九州西部に位置する島原半島と天草諸島の領民が藩の圧制や重税に耐えかね、キリシタン(カトリック教徒)迫害への不満も積み重なって起きた内戦です。
幕府は反乱軍に手を焼き、オランダの手を借りることになりました。
これで日本はポルトガルを排除し、1639年鎖国を確定。オランダは幕府の信頼を勝ち取り、ヨーロッパ唯一の交易国として長崎の出島を陣取りました。日本銀の獲得のためには何でもするオランダ…ずいぶん鼻息荒いですね (^^;)
カトリックとプロテスタントと銀の三つ巴が日本の大転換期の正体だったなんて面白いです。
石見銀山(いわみぎんざん)
2007年に鉱山遺跡としてはアジアでは初めて世界遺産に登録された島根県・石見銀山。
豊臣秀吉が亡くなって2年後の1600年(慶長5年)9月15日。関ヶ原の戦いが起こりました。勝った東軍の家康が真っ先に行ったのが石見銀山の確保でした。石見地方に禁制(禁止事項を公示した文書)を出したのが9月25日。関ヶ原の戦いからわずが10日後…。天下をおさめるための軍資金として石見銀山がいかに重要だったかが垣間見れます。
日本を最貧国から経済大国に押し上げた銀。
今も昔も日本と銀は深い関係があります。
銀愛好家としては歴史を知ることで思い入れも深くなります。
考えてみれば、いつの間にペトロダラーはじめとする法定通貨が価値を持つものとして、銀と入れ替わってしまったんでしょう?
本当に価値がある物の見直しがなされている今、偽のお金の支配から早く脱却したいものです。
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